天体写真の色と光を操る:フィルターの種類、選び方、最初の使い方
天体写真におけるフィルターの役割:光を操り、対象を浮かび上がらせる
天体写真の世界へようこそ。星雲や銀河、惑星などの美しい姿を写真に収めることは、多くの人を魅了する趣味です。しかし、いざ撮影を始めると、空の明るさ(光害)や対象の淡さ、ノイズなど、様々な課題に直面します。こうした課題を克服し、より感動的な一枚を得るための強力な「道具」の一つが、天体写真用フィルターです。
フィルターと聞くと、風景写真などで使うような偏光フィルターやNDフィルターを想像されるかもしれません。天体写真用フィルターは、それらとは少し異なる独特の役割を持っています。特定の波長の光だけを通し、それ以外の光をカットすることで、目には見えない宇宙の姿や、肉眼では捉えにくい淡い構造を写真に浮かび上がらせるのです。これは、まるで色の魔法を使い、被写体の本質だけを強調するかのようです。
この記事では、天体写真の初心者が直面しがちな「どんなフィルターを選べばいいのか分からない」「効果がよく分からない」といった疑問を解消するため、フィルターの基本的な種類、それぞれの効果、そして失敗しない選び方や最初の使い方について解説します。
天体写真用フィルターの基本:なぜ特定の光を通すのか?
天体写真用フィルターの最大の目的は、「不要な光をカットし、必要な光だけを取り込む」ことです。この「不要な光」の代表が、私たちが住む街から発生する「光害」です。街の明かり、特に水銀灯やナトリウム灯から出る光は、特定の波長に集中しています。光害カットフィルターは、この特定の波長の光を遮断することで、バックグラウンドの明るさを抑え、星雲などの淡い天体をより強調することができます。
また、「必要な光」とは、撮影したい天体、例えば星雲が放つ特定の波長の光を指します。多くの輝線星雲は、水素(Hα)、酸素(OIII)、硫黄(SII)などが放つ非常に狭い波長の光で輝いています。特定の波長だけを通すフィルター(狭帯域フィルター)を使うことで、これらの輝線だけを効率よく捉え、対象を鮮明に写し出すことが可能になります。これは、特定の周波数だけを受信する高性能なラジオのようなものです。
主な天体写真用フィルターの種類とその効果
天体写真用フィルターにはいくつかの種類があり、それぞれ異なる目的で使用されます。初心者の方が最初に知っておくべき代表的なフィルターをご紹介します。
1. 光害カットフィルター(LPF: Light Pollution Filter)
- 効果: 街の明かり(水銀灯、ナトリウム灯など)が発する特定の波長の光をカットし、バックグラウンドの明るさを抑えます。これにより、光害がある場所でも比較的コントラストの高い天体写真を撮影できるようになります。
- 種類:
- 広帯域(Broadband): 光害の主要な波長帯を比較的広くカットします。星団や銀河、反射星雲など、様々な天体に対応できますが、カット帯域以外の光(天体由来のものも含む)もある程度通すため、光害が非常にひどい場所では効果が限定的になる場合があります。
- 狭帯域(Narrowband): 特定の輝線(Hα, OIIIなど)以外の光を大幅にカットします。主に輝線星雲の撮影に使用され、強い光害下でも対象を写し出すのに非常に強力です。ただし、星の光(連続スペクトル)もほとんどカットしてしまうため、星野写真や星団、銀河などの撮影には向きません。
- こんな対象に: 広帯域LPFは銀河、散開星団、球状星団、反射星雲など。狭帯域LPFは輝線星雲(オリオン大星雲、北アメリカ星雲など)。
- 初心者へのヒント: まず最初の一枚としては、比較的汎用性の高い広帯域LPFがおすすめです。自宅からの撮影が多い場合、その場所の光害の種類(ナトリウム灯が多いか、LEDが多いかなど)によって効果的なフィルターが異なることもあります。
2. 特定波長強調フィルター(Narrowband Filter)
- 効果: 水素アルファ線(Hα: 656.3nm)、酸素III線(OIII: 500.7nm)、硫黄II線(SII: 672.4nm)など、特定の波長の光だけを非常に狭い帯域で透過させます。これにより、その波長で輝く天体の構造を劇的に強調できます。
- こんな対象に: 輝線星雲(散光星雲、惑星状星雲、超新星残骸など)。特に、Hαフィルターは多くの輝線星雲の主要な輝線であり、非常に強力な効果を発揮します。OIIIフィルターは酸素の多い星雲(環状星雲など)に、SIIフィルターは硫黄の多い超新星残骸などに有効です。
- 初心者へのヒント: 狭帯域フィルターは単色画像になるため、通常はHα、OIII、SIIなどの複数フィルターでそれぞれ撮影し、後で合成してカラー画像を生成します(ナローバンド合成)。これは少し高度なテクニックですが、光害に悩まされずに天体写真を深く追求する上で非常に強力な手段です。まずHαから始めるのが一般的です。
3. 惑星用カラーフィルター
- 効果: 特定の色(赤、緑、青など)の光だけを透過させ、惑星表面の模様や大気の縞模様などのコントラストを強調します。例えば、木星の大赤斑を強調するには赤色フィルター、火星の模様を強調するには緑色フィルターなどが有効です。
- こんな対象に: 惑星(木星、土星、火星、金星など)。
- 初心者へのヒント: 主に眼視観測でも使用されますが、惑星撮影でも有効です。色によって強調される模様が異なるため、いくつかの色を試してみるのが面白いでしょう。
4. UV/IRカットフィルター
- 効果: 紫外線(UV)と赤外線(IR)をカットし、人間の目に見える可視光線だけを透過させます。
- こんな対象に: 多くの天体写真用CMOS/CCDカメラはUV/IR域にも感度があるため、可視光線以外の余分な光を取り込まないようにするために使用します。特に屈折望遠鏡や一部の反射望遠鏡では、UV/IR光が色収差や像の劣化を引き起こすことがあるため、それを防ぐ目的でも重要です。カラーバランスの調整にも役立ちます。
- 初心者へのヒント: カラー撮影を行う場合、基本的には常時装着しておきたいフィルターです。フィルター径を間違えないように注意しましょう。
初心者向け!失敗しないフィルター選びのポイント
佐藤さんのように、趣味を始めたばかりで高価なツール選びで失敗したくないという方にとって、フィルター選びは特に悩ましいものです。以下のポイントを参考に、ご自身の撮影スタイルや予算に合った一枚を選んでください。
- 何を撮りたいか明確にする: これが最も重要です。銀河や星団がメインなら広帯域LPF、星雲を深く追求したいなら狭帯域(Hαなど)が有力な候補になります。惑星ならカラーフィルターです。漠然と「何かフィルターが欲しい」ではなく、「あのオリオン大星雲をもっと鮮明に撮りたいから、Hαフィルターを試してみようかな」のように、目的を定めてから探しましょう。
- 使用機材(望遠鏡/レンズ、カメラ)との相性を確認する:
- フィルター径: 望遠鏡やカメラレンズの先端(またはアイピース側、カメラボディ側)に取り付ける場合、ネジ径が合うものを選ぶ必要があります。一般的なカメラレンズ用フィルター径(49mm, 52mm, 58mm, 77mmなど)とは異なる場合が多いので、機材の説明書などで確認してください。天体望遠鏡用としては1.25インチ(約31.7mm)や2インチ(約50.8mm)のネジ込み式が一般的です。
- カメラタイプ: デジタル一眼レフ(DSLR/ミラーレス)の場合、レンズとボディの間に挟む「クリップ式」フィルターも便利です。天体写真用CMOS/CCDカメラの場合は、カメラ側のフィルターホイールや引き出しに取り付けるためのねじ込み式(1.25インチ、2インチなど)が一般的です。ご自身のカメラに対応した形状を選んでください。
- センサーの種類と改造の有無: デジタル一眼レフの場合、通常のカメラはHα線の感度が低く抑えられています。天体撮影用にHαの感度を高める改造(IRカットフィルター除去など)が施されたカメラであれば、Hαフィルターの効果を最大限に引き出せます。改造の有無によって、フィルター選択の考え方が変わる場合があります。
- コストパフォーマンスを評価する: フィルターの価格は種類やメーカー、サイズによって大きく異なります。安価なものから高価なものまでありますが、価格差は主に透過率の均一性やカット性能、耐久性などの品質に現れます。最初は高価なものを買う必要はありませんが、あまりに安価なものは性能が不十分であったり、周辺減光が目立つなどの問題があることも。他のユーザーのレビューや作例を参考に、予算内で評判の良いものを選びましょう。
- 口コミやレビュー、作例を参考にする: 実際にそのフィルターを使った他の人の意見や作例は非常に参考になります。特に、同じような機材を使っている人のレビューがあれば、自分の環境でどのような効果が得られるかの目安になります。ただし、作例は画像処理されている場合が多いので、フィルター単体の効果を見極める際には注意が必要です。
フィルターの最初の使い方と注意点
フィルターを手に入れたら、実際に撮影で使ってみましょう。
- 取り付け: ねじ込み式の場合は、望遠鏡の接眼部や補正レンズの先端、カメラレンズの後端、あるいはフィルターホイールなどに、まっすぐ慎重にねじ込んでください。強く締めすぎないように注意します。クリップ式の場合は、カメラのマウント内部に説明書に従って正確に装着してください。
- 露出時間: フィルターを通すことで、当然光量は低下します。特に狭帯域フィルターは大幅に光量をカットするため、露出時間が非常に長くなります。例えば、裸で数分で済む対象でも、Hαフィルターを使うと数十分~数時間かかることも珍しくありません。対象の淡さや光害の状況、フィルターの種類に合わせて、適切な露出時間を試行錯誤で見つける必要があります。
- カラーバランス: フィルター、特に狭帯域フィルターを使用すると、通常のカラーバランスとは大きく異なる画像になります。これは故障ではなく、特定の波長だけを捉えているためです。後の画像処理でカラー合成を行うことになります。広帯域LPFでも、わずかにカラーバランスが変わることがありますので、ホワイトバランスの調整や画像処理で調整が必要です。
- 多重露光: 淡い天体を写し出すためには、長い露出時間で複数枚撮影し、後でスタック(コンポジット)処理を行うのが基本です。フィルター使用時も同様に、複数枚撮影してノイズを低減させ、対象を浮かび上がらせます。
実際に筆者が経験した失敗談と対策
私自身もフィルター選びや使用でいくつかの失敗を経験しました。
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失敗談1:過度な期待と現実のギャップ
- 「光害カットフィルターを使えば、街中でも満天の星空のように撮れる!」と期待して購入しましたが、実際はバックグラウンドが少し暗くなる程度で、劇的に対象が浮かび上がるわけではありませんでした。これは、広帯域LPFの限界や、私が撮影した場所の光害の種類(LED照明など、LPFの効果が薄い波長が多い)が原因でした。
- 対策: フィルターの「効果」を過信せず、あくまで撮影を「助ける」ツールだと理解すること。光害の状況や撮影対象に対して、どのフィルターが最も効果的か、事前に情報を集めること。そして、フィルターはあくまで画像処理の前の段階であり、後の処理も重要だと認識すること。
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失敗談2:Hαフィルターで星団を撮ろうとした
- 「Hαフィルターは星雲に効くらしい」という知識だけで、散開星団や球状星団の撮影に使ってみたところ、星の光がほとんど写らず、背景も真っ暗な、残念な写真しか得られませんでした。これは、Hαフィルターが輝線(星雲などが放つ特定の波長)以外の連続光(星の光など)をカットすることを知らなかったためです。
- 対策: 各フィルターが「何を透過させ、何をカットするのか」を理解すること。フィルターは万能ではなく、得意な対象と苦手な対象があることを学ぶこと。
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失敗談3:フィルターの取り付けミス
- フィルターを斜めにねじ込んでしまったり、緩く取り付けたまま撮影してしまい、画像全体が傾いたり、周辺がケラレたり、ゴミが写り込んだりしました。また、フィルターに指紋をつけてしまい、その後の画像処理で消すのに苦労しました。
- 対策: フィルターの取り扱いは慎重に。装着する際は、ネジ部をよく確認し、まっすぐに、でも優しく回して装着すること。フィルター表面には絶対に触らないこと。万が一汚れた場合は、専用のクリーニングキットで丁寧に拭くこと。
まとめ:どのような初心者におすすめか
天体写真用フィルターは、あなたの撮影を次のレベルへ引き上げるための強力な「偏愛道具」です。特に、
- 光害のある場所で撮影することが多い方
- 淡い星雲を鮮明に写したい方
- 特定の天体(例:オリオン大星雲)を深く追求したい方
- 画像処理(特にナローバンド合成)にも興味がある方
には、ぜひ試していただきたいツールです。
最初の一枚としては、比較的汎用性の高い広帯域光害カットフィルター(LPF)が、多くの対象(銀河、星団、明るめの星雲など)に効果を発揮するためおすすめです。特に光害の多い地域にお住まいであれば、その効果を実感しやすいでしょう。
もし特定の輝線星雲、例えばオリオン大星雲や北アメリカ星雲などを集中的に撮影したいという目的がはっきりしているなら、思い切ってHαナローバンドフィルターから挑戦するのも非常に面白い選択です。光害をほぼ気にせず、対象の本質的な輝きを捉えることができます。
フィルターは決して安価なものではありませんが、適切に選び、使い方を理解すれば、あなたの天体写真の世界を大きく広げてくれるはずです。この記事が、あなたが最高の「一枚」を撮るための第一歩となるフィルター選びの助けになれば幸いです。